勝利への期待、のしかかるプレッシャー。力を使い果たしてまで挑戦し続けた1年間

2024年、ライバルとのバトルを戦い抜き、チャンピオンに輝いたライダーたちは、今シーズンをどう振り返るのか。チャンピオンインタビュー第4弾では、IA1クラスで2連覇を果たした#1ジェイ・ウィルソン(YAMAHA FACTORY INNOVATION TEAM/ヤマハ YZ450FM)に話を聞いた ジェイ・ウィルソンが全日本モトクロス選手権に初めて出場したのは、2021年の最終戦だった。IA2クラスにスポット参戦をすると全ヒートで優勝を獲得。翌2022年から拠点を日本に移し、ヤマハのファクトリーライダーとしてIA2クラスに全戦出場を始めた。開幕戦から無敗の15連勝を果たしてIA2チャンピオンに輝くと、2023年には450ccマシンに乗り換えてIA1クラスに参戦。そこでも全23ヒート中22勝を果たす強さでチャンピオンを獲得した。そして、2024年はウィルソンにとってフル参戦3年目。IA1クラスでの2連覇を目標にシーズンに挑んだ。 日本人ライダーを寄せ付けず、ほとんどのレースをスタートから独走状態に持ち込んで優勝する彼は、IAクラスにおいて絶対的王者として一目置かれ、2024年も同じように勝ち続けると思われた。しかし、2019/2020年IA2クラスチャンピオンでありオーストラリア選手権で活躍を続ける#41横山遥希(HONDA DREAM RACING LG/ホンダ CRF450R)と、2023年IA2クラスチャンピオンの#33ビクトル・アロンソ(AutoBrothers GASGAS JAPAN/GASGAS MC450F)など新たなライバルの登場により、勢力図が大きく変動した。 これまでにないバトルの展開、優勝することの難しさ、多くのプレッシャーを抱えた彼はどのようにして2連覇を果たしたのだろうか。 3年目、勝利へのプレッシャーが重くのしかかる JMX Promotion(以下:編):チャンピオン獲得おめでとうございます! 2024年は日本に来て3年目ということで、まずはこの3年間をどのように振り返りますか? ジェイ・ウィルソン(以下:ウィルソン):そうですね、1年目は何もかもが新鮮で刺激的でした。日本という新しい土地に拠点を移してのレース参戦は、生活環境が変わったのでたくさんのサポートを受けながら過ごしました。 2年目は250ccから450ccに乗り換えてIA1クラスに挑みました。IA1チャンピオンは私の個人的な目標でもあり、そこに挑むことができるのは嬉しかったです。ただ、新しいマシンとクラスに適応しなければならなくて、自分にとってチャレンジの年でもありました。 そして3年目は、レースにも日本での生活にも慣れたのですが、ディフェンディングチャンピオンとしてどんな結果を求められているのかを感じ、それがプレッシャーにもなりました。その上、他のライダーたちのレベルは1年目から格段に上がっているし、横山選手が日本に戻ってきたことでそのレベルの基準はさらに上がっていました。その中でチャンピオンを獲るのは簡単ではなくて、色々な困難にぶつかって、乗り越えた一年だったと思います。 編:”困難”という言葉があったように、特に2024年はジェイさんにとって苦しい時間が多いように見えました。シーズンを終えて、この1年間をどのように振り返りますか? ウィルソン:全日本モトクロス選手権にフル参戦を始めて3年目になるけど、これまでで一番優勝するのが難しいシーズンでした。 編:シーズンを通して、どんな困難にぶつかったのでしょうか? ウィルソン:私が直面した壁のひとつは、勝利への期待でした。1年目も2年目も連勝してチャンピオンになったため、多くの人が私が日本で優勝するのは簡単なことだと思っているように感じます。もちろんそう思ってもらえていることは嬉しいのですが、私にとっては決して簡単なことではなくて、3年目にしてこれまで示してきた結果や、連勝・優勝への期待がプレッシャーになっていました。 編:1年間インタビューをしてきた中でも、チャンピオンや全勝というプレッシャーは人一倍感じているように感じました。 ウィルソン:開幕戦で勝ち、また次のレースで勝つと、その次もずっと勝ち続けなければならないというプレッシャーがどんどん大きくなっていきました。このプレッシャーに対して、2年目まではマインドセットやルーティンを整えることで上手くこなしていたのですが、2024年はそのマインドコントロールにかなり苦労しました。焦ったり、疲れたり、メンタル面が崩れてしまうことがありました。 大きなクラッシュをした北海道大会で意識が変わる 編:特に今年は他のライダーとの競り合いが多かったように見えました。その影響も大きかったのでしょうか。 ウィルソン:そうですね。ライバルたちとのバトルによって、自分のコンフォートゾーンから押し出された感覚はありました。プロライダーとしては、自分が落ち着いて走れる状況ではない時でも、自分をコントロールして走ることが必要なのですが、私はその状況に対する準備が十分にできていなかったのだと思います。 編:後半戦にかけては、不調から脱したような、どこか振り切れたように見えましたが、何かきっかけはあったのでしょうか? ウィルソン:第5戦の北海道大会で激しい転倒をしました。そこで、ただ目の前の勝利を追いかけていくことも大事だけど、チャンピオンシップを戦略的に進めることの重要性も痛感しました。あの転倒は、個々のレースでの勝利よりもシーズン全体や私の役割を優先するように、という警鐘だったと思います。 編:具体的にはどういうことでしょうか? ウィルソン:私はライダーとしての活動はもちろんですが、マシンテストや若手ライダーの指導など他にも責任が多く、これらの役割を全うすることと自分のレース目標に向けた行動のバランスを取る必要がありました。北海道で転倒するまでは勝つことを重視し、優勝して自分の速さを示すという気持ちで動いていました。もちろん常にレースでは優勝を目指しますし、その気持ちは変わりません。しかし、北海道大会を終えてから、ただ一目散に勝利に向かって走るのではなく、自分の役割を大切にすることも必要だと気づきました。 編:なるほど。勝ちたいという気持ちだけで動くと、必ずしも良い結果を生むわけではないのですね。 ウィルソン:はい。あの北海道での転倒は、2024シーズンにおいて非常に大きな転換点だったと思います。 編:意識の変化があった北海道大会の後、3ヶ月ほどのインターバルがあり、第6戦を迎えるという流れでした。インターバル期間中はどのように過ごされていたのでしょうか? ウィルソン:夏のインターバルではアメリカへトレーニングにいきました。インターバル明けの3戦では、結果として上手く示すことができなかったけれど、自分自身アメリカトレーニングでかなり成長して、第6戦を迎えることがすごく楽しみでした。ただ、この調子をキープして勝ちたいという欲が出る反面、チャンピオンシップをどのように進めていくかも考えながら過ごしていました。 編:後半戦はチャンピオン争いがさらに加熱していくタイミングでもありますが、プレッシャーはさらに重く感じたのでしょうか?…

「正直辞めようかとも……」。それでも最後まで諦めなかった勝利への思い

2024年、ライバルとのバトルを戦い抜き、チャンピオンに輝いたライダーたちは、今シーズンをどう振り返るのか。チャンピオンインタビュー第3弾では、レディースクラスチャンピオンの#1川井麻央(T.E.SPORT/ホンダ CRF150RⅡ)に話を聞いた レディースクラスのチャンピオン争いは、毎年最終戦にまでもつれ込み、今年も例に漏れず苛烈を極めた。新進気鋭の若手ライダーたちが頭角を表し、表彰台に登る中、確固たる強さと存在感を示したのが、クラスの中でチャンピオン経験のある#1川井麻央と#2本田七海だった。 本田は2019年にチャンピオンを獲得。一方川井は2020・2021・2023年とこれまでに3度チャンピオンに輝き、両者共に2024年もチャンピオンの座を狙っていた。しかし、川井は開幕戦でノーポイントからのスタートとなった。「これまでのモトクロス人生で一番大変だった」と語る2024シーズンをどう乗り越え、そしてチャンピオンの座に輝いたのだろうか。 2024年は予期せぬノーポイントから始まった JMXPromotion編集部(以下:編):チャンピオン獲得おめでとうございます。 開幕戦から今シーズンを振り返っていきたいと思います。 まず、2024年はどんな気持ちで挑んできたのでしょうか? 川井麻央(以下:川井):2024年は開幕戦が地元で、応援に来てくれる人も結構いたので、シーズンの中でも少し特別で、しっかり結果を出さないと、という気持ちがありました。また、開幕戦で勝つことができれば良い流れを作れるので、しっかり結果を残せるようにシーズンオフに乗りこんで、調子を上げて挑みました。 編:実際、開幕戦のレースは快勝でしたね。 川井:開幕戦はシーズンオフに周りがどれくらいレベルを上げてきたのかというのがわからないままレースを迎えるので、緊張感もありました。ただ、シーズンオフで怪我をすることもなく迎えられて、レース本番も調子良かったです。スタートから2コーナーまでは競っていましたが、その後は単独走行で終えることができました。自分にとってはすごく余裕のあるレースでしたね。 編:ただ、レース終了後に国内競技規則 付則15 32-1-4に該当するとして失格、ノーポイントとなり、波乱の幕開けでした。 川井:マシンについてはメカニックに全て任せていて、私は用意してもらったマシンで勝つ、というスタイルで戦ってきました。なので、開幕戦の結果は正直かなり動揺しました。ただ、あの結果があったからこそ、今まで以上にチャンピオンを獲りたいという気持ちが芽生えました。規則違反となってからの周りの目や声はちゃんと感じていて、だからこそチャンピオンを獲らなかったら何を言われるかわからない、と思って1年間頑張れた気がします。 編:なるほど。それでもかなりメンタルにダメージを受けているようでしたが、第2戦・第3戦に向けてはどのような気持ちだったのでしょうか? 川井:悔しさと悲しさと、いろんな感情があって、開幕戦が終わってからは、もう正直ここでバイク辞めてもいいかな、と思っていました。ただ、年間のスケジュールを見た時に、開幕戦が終わって次の週にHSR九州大会の事前練習に行く予定が組まれてたんです。開幕戦でのことがあって気持ちは結構落ちていたので、正直そこにも行くか悩んだのですが、すでに飛行機とか宿とかを手配していたので、チームとも話し合って、とりあえず九州には行くと決めました。 編:とりあえず、というのは? 川井:自分の気持ちとしては、乗りたくなければ無理に乗らず、3日間遊ぶ予定に変更しても良いなと考えていました。自分は土日の事前練習の前に金曜日に遊ぶ日を作っていたし、乗りに行くと考えると気持ちが落ちてしまう自分もいたので、とりあえず遊びに行こう! という感覚でした。 編:無理をしない、という心の切り替えはすごく大事だと思います。事前練習までに気持ちは回復したのですか?  川井:全然回復してなくて、金曜日に熊本に着いて、チームのパドックの設営があったのですが、知ってる人に会いたくなくて嫌だなあと思いながらコースに向かっていました。ただ、みんな特に何か言ってくるわけでもなくて、それで心が軽くなったというのもあります。 編:なるほど。結局は事前練習に参加したのですか? 川井:はい。自分のクラスは4台ぐらいしか走る人がいなくて、その少なさもあって気楽に乗ることができました。乗ってみると調子も良くて、その感覚があったから次も頑張ろうって思えました。 編:第2戦に向けては前向きな気持ちで挑めたのでしょうか。 川井:第2戦で勝たないと何言われるかわからないと思って挑みました。自分が勝てなかったせいで色々言われるのが本当に嫌で、どうすればいいのか考えた時に、やっぱり結果で見せるしかない。そう思って挑みました。 編:第2戦・第3戦と優勝を獲得。気持ちを切り替えて2連勝、なかなかできることではないと思います。 川井:第2・3戦で勝てたのは本当によかったと思います。しかもドライとマディ、両日それぞれ違うコンディションで優勝できて、すごく嬉しかったですね。 第2・3戦はイレギュラーな日程で、土日に1戦ずつの開催は初めての経験でした。土日2日間どうやって身体を作っていいかというデータもなかったし、これをやったらいけるという自信になるものもなかったので、不安ではありました。ただ、それでも勝てたから、自分の自信になったし、強さを改めて示すことができたと思います。あの2連勝が一番嬉しかったですね。 「勝てばいい」。マシン不調で追い込まれるも、周りの声に支えられた後半戦 編:第2戦から連勝を重ね、後半戦へ。近畿大会では4位となりました。この第6戦が一番悔しい大会と話していましたが、なぜでしょうか? 川井:その時は特に公言していなかったのですが、マシンの調子が悪くて、今まで自分のバイクに起こったことがない症状だったので、何が原因なのかわからなくて、結局予選も決勝も調子が悪いまま走り切りました。 編:それでも結果は4位で終えていましたね。 川井:自分の身体の調子が悪いわけじゃないし、でもタイムが出ないし……。もうその大会はどうすることもできなくて、ただただ悔しかったです。でもマシンが止まらなかっただけマシだと思いますし、あの状況でも4位に入れたのはよかったです。 編:後半戦最初の大会だったために、そこで結果を出せなかったのは悔しいですね。 川井:夏のインターバル期間には会場である名阪スポーツランドへたくさん乗り込みに行っていたし、チャンピオン獲るには一戦も落とせないという気持ちで挑んでいたので、後半戦で出鼻を挫かれた感じで少し落ち込みました。でも、チームや周りの人が「あと2戦勝てばチャンピオン獲れるから!」と前向きに声をかけてくれて、そのおかげでブルーな気持ちを切り替えることができました。 編:たしかに、近畿大会の次はオフロードヴィレッジ、地元大会でしたね。 川井:そうなんですよ。第6戦を終えた時点で残りのラウンドが、地元のオフロードヴィレッジとスポーツランドSUGOという、自分の好きなコースでした。後半戦になって一戦の重みがさらに増して、色々考えてしまっていたのですが、周りからかけてもらった言葉のおかげで「勝てばいいんだよな」と心が軽くなりました。 編:たしかに、それは真理ですね。…

「心が折れた」。挫折を糧に成長を続けた2024年

2024年、ライバルとのバトルを戦い抜き、チャンピオンに輝いたライダーたちは、今シーズンをどう振り返るのか。チャンピオンインタビュー第2弾では、IA2クラスチャンピオンの#3中島漱也(bLU cRU レーシングチーム鷹/ヤマハ YZ250F)に話を聞いた 実力伯仲のIA2クラス、今年のチャンピオン争いも苛烈を極めた。シーズン序盤こそ優勝するライダーがヒートごとに変わるほど拮抗していたトップ争いも、次第に#3中島漱也(bLU cRU レーシングチーム鷹/ヤマハ YZ250F)と#2横澤拓夢(TKM motor sports いわて/ホンダ CRF250R)がレースを牽引し、チャンピオンをかけたバトルは僅差で最終戦にまでもつれ込んだ。 そんな2人は、JMX Promotionサイトでも記事にしたように仲が良いが、両者ともに「今年チャンピオンを獲ることで人生が変わる」と話すほど、王座にかける想いが強かった。兄のように慕う横澤との接戦を制した中島は、今シーズンをどう振り返るのだろうか。開幕戦から最終戦までに感じた思い、チャンピオン獲得を支えたチーム環境、そして今後見据える先について話を聞いた。 積み重ねた成功体験。開幕から流れを掴む JMXPromotion編集部(以下:編):チャンピオン獲得おめでとうございます。今シーズンを振り返ってみて、どんな1年でしたか? 中島漱也(以下:中島):そうですね、まず目標にしてたチャンピオンを獲れたことはすごく嬉しいです。それに加えて、今シーズンは1戦1戦レースを重ねるごとに成長していきたいという気持ちがあって、振り返ると、1年を通してその目標もちゃんとクリアできてたのかなと思いますし、去年の自分より精神面も技術面もレベルアップできたと感じています。 編:今シーズンを一言で表すと、どんな言葉が思い浮かびますか? 中島:「成長」ですかね。自分自身の成長が一番大きく感じられて、それが嬉しいです。 編:どの部分で成長を感じましたか? 中島:優勝回数など目に見える結果が一番わかりやすく感じましたが、それだけではなく、例えば、タイムアタック予選の順位が良いとか、スタートで遅れても追い上げられたとか、ホールショットの回数が去年よりも増えたとか、単に順位ではなく、練習や予選などの細かい部分が良くなっていて、それがメンタル面にもプラスになっていたなと思います。 結局、メンタルが安定する時は自分に自信がある時だと思うので、先ほど話したような小さな成功体験がメンタルに良い影響を与えていて、シーズン通して調子の良さを崩さなかったところにも繋がっていたのかなと思います。 編:開幕戦での優勝、ここでまず良い流れを掴んだように見えました。開幕戦に向けては自信を持って挑めていたのでしょうか。 中島:開幕前、2023年12月からアメリカへトレーニングに行かせてもらって、5週間ほど滞在しました。トレーニング期間でライディング技術が上がったと実感できたし、そこで得た成果を日本に持って帰ってこれたので、自信はもちろんありました。ただ、ライバルもみんなオフシーズンに練習を重ねてきていて、その中で誰が一番速いかが決まるのが開幕戦なので、最も勝ちたいという欲が出がちな大会だと思っています。なので、僕は最終戦よりも開幕戦を一番重要視して挑みましたね。 編:なるほど。周りの実力がわからないからこそ、探り探り状況を見極めていく段階だと。 中島:何回かレースを重ねると誰が速いとか、この人はちょっと今調子悪いとか、勢力図みたいなものがわかります。結果次第では自分の調子を落としてしまう危険もあるレースだったのですが、ミスが出やすいところをうまくコントロールできたのが今年の開幕戦でしたね。 編:去年の初優勝も開幕戦でしたね。 中島:そうですね。去年の開幕戦は3位/1位/8位で、結果にすごくばらつきがあったんです。それでギリギリ総合優勝って感じだったので、嬉しいけど、自分的にはまとめられなかった悔しさもありました。今年はその経験もあって自分のメンタルコントロールを意識していました。開幕戦はコースがすごい荒れていたのですが、その中でどれだけ自分の実力を出せるかというところに集中して、それが結果に繋がって総合優勝を獲得できたと思います。これが自信にも繋がりましたね。 編:開幕戦で自信がついてから、第2戦も完全優勝を収めましたね。 中島:第2戦・第3戦が行われたHSR九州は自分にとって得意なコースで、開幕戦で優勝して、そのまま自分の得意なラウンドに入れたので、自分に良い波が来ているなと思っていました。ただその段階ではまだあんまりチャンピオンを意識していなくて、調子の良さを決勝でも発揮するだけ、と考えていました。2戦目でピンピン獲れたのも、好調を維持できただけで、特に深いことは考えてなかったです。 編:かなり肩の力が抜けて挑めているように見えました。去年と比べてだいぶ気持ちを楽にして走れていたのでしょうか。 中島:第3戦まではそうですね。3戦目のマディレースではリザルトを落としてしまいました。元々マディコンディションは得意なので、むしろラッキーぐらいに思っていたのですが、クラッシュに巻き込まれたり、スタックしちゃったり、自分で回避できてたはずのミスが多かったです。 編:第3戦で横澤選手(IA2クラスランキング2位の#2横澤拓夢選手)が両ヒートともに優勝して、僅差でランキングトップが変わりました。 中島:いよいよ今年の勢力図が見えてきたというか、今年は拓夢くんとチャンピオン争いをするんだなと感じていました。ただ、開幕戦から優勝が続いていたので、そこまで不安には思わず、そのまま第4戦を迎えました。自分的にはこのレースが今シーズンのターニングポイントになっています。 ターニングポイントになった第4戦 編:第4戦がターニングポイントと感じる理由は何ですか? 中島:第4戦のヒート1で拓夢くんが1位、僕が2位という結果になりました。IB OPEN時代を振り返っても接戦をしてきたことがあまりなかったので、今年のようにチャンピオンをかけた僅差のバトルというのはモトクロス人生の中で初めてでした。そこで、負けちゃいけない時に負けちゃいけない相手に優勝を獲られて、自分が2位で、実力でちゃんと負けたことが悔しかったです。 開幕戦で優勝して、2戦目も優勝して、第3戦の結果も自分の中ではそこまで気にしていなかったのですが、第4戦のヒート1で負けた時に、ちょっと焦りというか、そこで初めて自分の中にあった自信も崩れて、できていたこともできなくなって。でもチャンピオン争いは僅差だから絶対勝ちたいっていう気持ちもあって……と、負のループにはまってしまって、2ヒート目は何回転けたかわかりません。…

一度はモトクロスを辞めて自衛隊へ。「それでもやっぱり乗りたかった」

2024年、ライバルとのバトルを戦い抜き、チャンピオンに輝いたライダーたちは、今シーズンをどう振り返るのか。チャンピオンインタビュー第1弾として、IB OPENクラスでチャンピオンを獲得した#5松岡力翔(SP忠男広島/ヤマハ YZ250F)に話を聞いた 全日本モトクロス選手権で開催されるIB OPENクラスでは、年間ランキング10位までのライダーがIAクラスへ昇格できる。その昇格枠を目指して、地方選手権を勝ち抜いてきたライダーたちによるトップ争いは毎年混戦を極めている。 2024年は特にライダーたちの実力が拮抗しており、レースごとに優勝するライダーが異なる大会も多かった。そんな中、着実に結果を残し、今年チャンピオンに輝いたのが#5松岡力翔(SP忠男広島/ヤマハ YZ250F)だ。彼の強さは、追い上げる力。スタートで出遅れても、20分というレース時間の中でしっかりと追い上げ、上位争いを展開してきた。チャンピオンを獲得した今、シーズンをどう振り返るのか。IBチャンピオンになるまでの経緯も含めて話を聞いた。 チャンピオンになった実感は…… JMX Promotion編集部(以下:編):IB OPENクラスチャンピオン獲得おめでとうございます! チャンピオン決定直後にコメントを聞いた時は「実感がない」と話していましたが、最終戦から数週間経った今、その実感は湧いてきましたか? 松岡力翔(以下:松岡):その時よりは実感してきてますね。チームや友達、地元の人におめでとうとお祝いしてもらって、チャンピオンになれたんだと、実感が湧いてきました。ただ、最終戦のヒート2で怪我をしてしまって、シーズンオフに入ってからは練習せず、治療に専念しています。 編:そうですよね……。私は転倒した場面を見ていなくて、レース後に腕を吊っているのを見て驚きました。どこを怪我したのですか? 松岡:単独で転倒して、肩を脱臼してしまいました。思わぬところで路面に引っかかって、身体を打ち付けて、そのままリタイアしました。最終戦は守くん(※1)が強かったのですが、ヒート2のスタート直後に転倒していたのを見て、ここでいくしかないと思って攻めてました。勝てる、自分にチャンスがきたと思っていたのですが、ものにできなかったですね。 ※1:#61守大夢選手。東北出身のライダーで、宮城県のスポーツランドSUGOで行われた第4戦・最終戦ともに全ヒート優勝し地元での強さを見せた 編:チャンピオンを獲得したとはいえ、怪我でシーズンを終えたというのは悔しいですね。 松岡:そうですね、治るまでにも時間がかかりそうで、早く回復してバイクに乗りたいです。 「やっぱりモトクロスがしたい」。復帰に至るまでの2年間 編:今はおいくつですか? 松岡:今年22歳です。所属チームでもあるSP忠男広島で働きながらレース活動を行っています。 編:何歳からモトクロスを始めましたか? 松岡:5歳から始めました。きっかけは家族で行ったドライブですね。 編:ドライブですか……? 松岡:はい。家族でドライブに行こうってなって、行った先が世羅グリーンパーク弘楽園でした。そこで初めてモトクロスを見て、僕もやりたい! って親に言って、それをきっかけに始めました。僕は5人兄弟の3人目で、僕と弟2人がモトクロスをしていました。最初は遊び感覚で乗っていたのですが、親が真剣になって、僕にも火がついた感じです。 編:そこから本格的にレースにも出始めるようになったのですね。最初にレースに出たのがいつか覚えていますか? 松岡:覚えていないですね……。地方選手権に出ていたのですが、ジュニアクラスに参戦し始めた時は予選通過ギリギリのラインにいるレベルでしたね。 編:なるほど。IBになったのはいつごろですか? 松岡:2018年ですね。ただ、3年間IBクラスを走った後、実はモトクロスでのレース活動を辞めて2年間陸上自衛隊にいました。その後、2023年にもう一度IBクラスに戻ってきたという感じです。 編:陸上自衛隊ですか! どうしてその道に進んだのですか? 松岡:IBクラスで3年間走ってみましたが、予選通過がギリギリという状況で、結果がずっと出なくて。自分モトクロス向いてないなあって感じてしまったんです。それまで小さい頃からずっとモトクロスを続けてきていたこともあって、練習もなあなあにしていたので、1回「味変」しようと思ってモトクロスを辞めて自衛隊に行きました。 編:なぜそこで選んだのが自衛隊だったんですか? 松岡:高校の仲の良い友達が自衛隊に行くっていう話を聞いて、その選択肢に魅力を感じて選びました。入ってからは毎日訓練を続けていたので、そこでメンタルが鍛えられたと思います。 編:モトクロスを辞めて、という話ですが、自衛隊に入った後は未練などはなかったですか? 松岡:自衛隊に入った後もずっとモトクロスのことを考えていました(笑)。その時は弟がモトクロスを続けていたので、練習相手になったり、一緒にバイクに乗ってはいました。その中でやっぱりモトクロスを続けたい、レースに出たいと思って、もう一度モトクロスするにはどうしたらいいのかなって考えて、自衛隊を辞める決断をしました。 編:なるほど。その後今所属しているチームに戻ったという感じでしょうか。 松岡:そうです。ジュニアから所属している「SP忠男広島」でずっとお世話になっています。自衛隊を辞めてもう1回モトクロスを始める時も相談して、チームに戻りました。 コーチの教えを生かして。開幕戦での3位がチャンピオン獲得へのきっかけに 編:レース活動を再開した2023年はランキング16位。そこからトップ争いを繰り広げ、チャンピオンを獲得するまでになるというのは簡単ではないと思います。何か変化があったのでしょうか? 松岡:去年からコーチとしてついてもらっている人がいます。昨シーズンは全戦会場についてきてもらって、アドバイスをいただいてました。その教えが僕自身を成長させてくれたと思います。1年間教えてもらって、今年は自分で考えて動きな、と言われて、わからないことなどがあれば電話で対応してもらっていました。ずっとつきっきりで教えてもらっていたら自分で考えようとしなくなるので、教えをどう生かすか、自分で考えながら走るようになったことが結果にもつながったと思います。…

「人生を変える一戦」中島漱也vs.横澤拓夢。親友が雌雄を決するとき

IA2クラスのシリーズチャンピオンが決定する最終戦直前、チャンピオン候補である#3中島漱也(bLU cRU レーシングチーム鷹/ヤマハ YZ250F)と#2横澤拓夢(TKM motor sports いわて/ホンダ CRF250R)にインタビューをお願いした。仲の良い2人の関係性、そしてチャンピオンにかける想いとは 第7戦終了時点で13ポイント差。今年のIA2クラスのチャンピオン争いは劇的で、熾烈を極めている。今季を振り返ると、中島と横澤は開幕戦でそれぞれ1勝を挙げ、第2戦では中島が全勝、第3戦・第4戦では横澤が負けじと全勝を果たしている。さらに第5戦ではヒート1のラストラップで横澤が中島を抜かして優勝、ヒート2では中島が横澤を逆転し優勝を獲得、と一進一退の攻防を毎戦繰り広げ、チャンピオン争いは最終戦へもつれ込んだ。そんな大事な一戦を前に2人は何を思うのだろうか。 土台を作ってくれた先輩、理解しあえる存在。2人の関係性 最終戦への想いを聞く前に、2人の関係性を紐解いていく。レースでは毎戦トップを競い合う2人だが、レースを終えた後や表彰式では仲の良い姿が印象的だ。聞くと、2人は付き合いが長く、プライベートではお互い仲が良いという。 中島と横澤が出会ったのは7〜8年ほど前。横澤はIAクラスに参戦しており、中島はまだ85ccに乗っていた中学生だった。 「僕が中学生の頃は拓夢くんはもうすでにIAクラスを走っていました。拓夢くんがオフロードヴィレッジ*1に練習に来た時は、練習終わりに僕の家に遊びに来てくれたり、年末もうちに来て一緒に年越ししたこともあって、昔からプライベートでも仲が良いですね。僕がまだ免許持ってない時は練習に連れて行ってくれたり、色々お世話になってました」(中島) 「出会った時は漱也はまだジュニアで、85ccに乗っていました。今は同じIA2クラスで、去年の漱也の走りを見ていても今年はチャンピオン争いするだろうなと思っていましたし、実際に今シーズンを通してライバルとして存在感を感じるようになりました。いやあ、だいぶ成長しちゃいましたね」(横澤) *1:埼玉県川越市にある全日本コース。中島のホームコースでもある 中島は2020年にIA2クラスデビュー。今年で4年目となる。一方横澤はIA1クラスを経て2022年からIA2に参戦。2人が同じクラスで戦うのは2年目だ。お互いについて聞くと、2人とも信頼し合う仲の良い関係を築いていることが伝わってくる。 「僕がIA2クラスに昇格した1年目と2年目は、拓夢くんはIA1クラスに出場していたので被っていませんでした。ただ、プライベートでの繋がりは続いていて、僕がIA2クラス2年目の時には、拓夢くんの家から5分かからないくらいの場所にアパートを借りて半年くらい1人暮らしをして、トレーニングや練習を一緒にしたりと面倒見てもらってました。自分は他のIAの選手と練習することがあまりなかったので、プライベートの過ごし方もそうですし、トレーニングの仕方とか、練習方法とか、プロライダーとしての過ごし方を拓夢くんから教わって、土台を作ってもらったと思っています。僕はずっと拓夢君を追いかけてきました。年も離れていて4つ先輩なんですけど、ずっと面倒を見てもらって感謝しかないですね」(中島) 「漱也から関東には練習できるコースが少ないと聞いていて、自分としても練習相手が欲しかったので、うちの近く(東北)に来なよと誘いました。そしたらすぐに来てくれました。一緒のハイエースで練習に行ったりとか、多くの時間を一緒に過ごしていましたね。モトクロス以外の話でも価値観や考え方が似ていて、モトクロスで出会っていなかったとしても仲良くなっていただろうなと思います。あんまり後輩という感じはしなくて、お互い理解しあえる関係です」(横澤) チャンピオンへかける思い ポイントランキングを見ると、第6戦までは横澤が1位でリードし続けてきたが、第7戦で中島が3ヒート全てのレースで優勝したことにより立場が逆転。中島がトップに立ち、横澤が2位、そのポイント差は13ptと、僅差で最終戦を迎えることとなった。横澤を「ずっと追いかけてきた」と語る中島が、今は追われる立場になっている。迎える最終戦へどんな気持ちでいるのだろうか。 中島漱也「ここで結果を出すライダーが強い」 「拓夢くんと同じレースに出場して、バトルをして、今はチャンピオン争いもしている。特に今年は毎戦気が抜けない、勝つか負けるかというレースをしているのですが、関係性としてはそこまで変化はないですね。レースになったら、先輩後輩など全部ないのと同じで考えてますし、たぶん拓夢くんもそう思ってくれてると思います。お互いにレースになったら、走りに集中するし、ちょっとでも隙があれば攻めていく。拓夢くんが同じ気持ちでいてくれてるからこそ、これまでのようにバトルができていると思います。 レースが終わった後は、切り替えて、普段通りに戻りますね。いつも声をかけにきてくれます。ただ、レースなので勝負はつきますし、僕と拓夢くん、どちらかは必ず悔しい思いをしています。接戦で優勝を分け合った北海道大会では、ヒート1は最後に拓夢くんに抜かれてすごく悔しくて、僕があんまり喋れなかったのですが、それでも声をかけに来てくれるので、良い関係が築けているんだと思います」 最終戦に向けて中島は語る。 「僕は第4戦のヒート2でDNFになったことで、拓夢くんとはかなりポイントが離れてしまいました。なので、これまでは1ヒートも落とせないっていう崖っぷちのレースがずっと続いてきました。今回ランキングトップになって、追われる立場に変わったわけですが、これまでのレースでメンタルも鍛えられているので、チャンピオンがかかった重要な一戦だったとしても、あんまりそこにプレッシャーとかは何も感じてないですね。今までと変わらず、ただ勝つだけです。 もちろん、IA2クラスで走ってるからにはチャンピオン獲得を目標に挑んでいます。ただチャンピオンを獲るためだけにモトクロスをやってるわけではなくて、将来世界で活躍したいっていう自分の夢があって。そこに向けてはやっぱりここでチャンピオンを獲るか獲らないかというのではこの先が変わると思っています。この最終戦は自分の夢を叶えるための、人生を変える一戦になると思います。 プレッシャーは感じていませんが、メンタル面は普通ではないです。いつもよりもコントロールが難しいのですが、この緊張感を経験できるというのは、チャンピオン争いをしてる間にしか味わえないと前向きに捉えています。こういう大事な一戦で、この緊張感の中で結果を出すライダーがやっぱり強いと思いますし、これからもこういう場面に直面すると思います。今のこの緊張感をしっかり味わいたいです」 横澤拓夢「追いかける立場になった今、去年の感覚が蘇る」 「去年ビクトル(※ビクトル・アロンソ:2023年IA2クラスチャンピオン。横澤とチャンピオン争いを繰り広げた)を追っていた時の気持ちを思い出しましたね。今年はランキングトップをキープしてきて、追われる立場だったので、勝ち続けなきゃというプレッシャーを感じていました。一方で、去年は常に追いかける立場で、毎戦速さを見せつけにいこうという気持ちで挑んでいたので、今回追いかける立場になってその気持ちを思い出しました。 今はノープレッシャーですね。もう後はやるだけ。やることをやって、後はなるようになる。それだけだと思います。チャンピオンを獲るということは、今後モトクロスを続けていくにあたってプラスになる要素が増えると思います。自分は、ゆくゆくはIA1クラスに戻って参戦すると思うのですが、IA1にはIA2クラスでチャンピオンを獲ったライダーが多くいるので、自分のこの先を考えた時に、今回のチャンピオンは絶対に必要だと思っています」 最終戦を目前に迎える心境を聞くと、横澤は率直に答えてくれた。 「最終戦、正直早く終わりたいです(笑)。自分の仲の良い人とシーズンを通してこういう物語を作ってこれたというのは、スポーツを見せる側としても素晴らしいことだと思いますし、ストーリー的にも僕が逆転して勝った方が盛り上がりますよね。最後まで、相手が誰だろうが関係なく、自分のベストを尽くして優勝を目指します。そして、終わったら漱也とゆっくりご飯行きたいですね」 来る最終戦は10月19〜20日。それぞれがチャンピオン獲得にかける思い、そのバトルをぜひ現地でご覧いただきたい。 第8戦(10/19-20) ◾️D.I.D 全日本モトクロス選手権シリーズ2024 第8戦 第62回 MFJ-GP…